なぜそんなに時間に拘るのか | 大学という斜陽産業

なぜそんなに時間に拘るのか

 

「90分講義つらい」大学生 半数以上が“倍速視聴” 背景に…コスパならぬ“タイパ”

 

 

こんなネットニュースを見た。


同じ内容を動画で倍速試聴すれば半分の時間で同じ内容を学べるということらしい。

 

個人的には、そもそも大学の単位が時間で決まっていることに疑問を持っている。時間に拘るから、半期15回の授業回数の確保が絶対視され、中身はそれほど問われないという謎。

 

自分が標準的な、あるいはレベルが高い授業をしているというつもりはさらさらないが、同じ科目でも、大学ごとあるいは教員ごとに内容もレベルも大きく違う。

特に、同じ学部のカリキュラムの中で、授業の内容、すなわち入門科目やより専門的な科目という学問の体系の中でも内容ないしレベルの差によって単位数が変わらないのも謎である。

 

例えば、わかりやすいのが英語。TOEICでも何でもいいが、英検で考えよう。高校の内容の補習から入る大学もあるというので、4級レベルの授業もあるかもしれないが、それは横に置いておいて、例えば、英検2級レベルの授業でも、1級レベルの授業でも半期で修得できる単位数は現状では同じ(多分1単位)。これにも差をつけていいのではないかと思う。2級レベルでは1単位、1級レベルでは2~3単位とするなどである。同じ時間の授業時間でより高いレベルに単位を多くするのはアリだと思うのだが、暴論だろうか。結果的に、まさにこのニュースのタイパに合致することにもなるが、それが目的ではない。

学会等によって、カリキュラムの標準化も必要かもしれません。その点の細かい制度設計は各専門家にお任せするとして、そろそろこのあたりも大きく変えていく必要があるけど、文部科学省さん、どうでしょうか。