大学という斜陽産業 -192ページ目

追再試験の受験料の謎

そろそろ卒業式シーズン。大学教員も暇そうに見えるのでしょうか。でも、いろいろとあります。その一つが、追再試験。そう、まだ「終わっていなかったんだ」という訳です。

試験が終わっても、今度は卒業や進級が危ぶまれる学生は、いろいろと問い合わせをしてくる。問い合わせぐらいならまだましで、とにかく単位を認めろという輩まで。

かつて、こんなことを言われたことがある。この時期、研究室で成績関係の話を決して二人っきりでしてはいけない。扉を開けるか、他人が近くにいるところでするように、と。

話は変わるが、この追再試に関して、学生が妙に誤解していることがある。多くの大学では、追試や再試を受けるには、多少の受験料を取る。これが、教員に支給されていると思っているのである。自分の経験上、そんなことは一度も無い。

しかし、あの受験料はいったいどこに消えているのだろうか。少なくとも自分の経験上(専任と非常勤とも)、追再試の作問に手当が付くこともなければ、採点に手当が付くこともない。事務職員に手当が付いているのだろうか。さすがに事務職員の手当までわからないが、おそらく付いていないだろう。

この受験料、まるで某自由業の本部のように、大学の本部が上納金のように掠め取っているとしか思えない。

サザエさんの未来図

ブログを始めてから、なんかネタはないかなあ、なんてついつい考えてしまう自分がいます。そんなことに頭を働かすなら研究をしなさい、と言われてしまいそうですが。

そんなとき、別のネタのTBやコメントを追っていくと、国民的アニメ「サザエさん」という話題がありました。

こんな風に専門(?)的に考えたことがないのですが、サザエさんを見るたびに思うのは、オープニング(サザエさんが日本各地を訪れる感じになっている)には、結構最近のことが描かれていたりします。それなのに、本編にはいると、やはり設定が古い。このギャップはいずれ解消されるのだろうかと。

サザエさん一家他の登場人物がいつまでも成長しないのは良いとして、その他の設定は変えていく可能性があるのだろうか。家の電話がプッシュホンにかわったり、サザエさんとマスオさんが携帯で連絡し合うようになったり(職業的には、ノリスケさんの方が先に携帯を持ちそうではありますが)、カツオくんがファミコン(古い)をしたりと。

修論審査

修論審査も一応、学位の審査なんだけど・・・。TBの例ほど厳しくしちゃうと・・・。

日経新聞にも、先日、「最近の修論は10年前の卒業論文以下」なんて書かれていたけど、10年前の卒業論文のレベルがよくわからないので、この点は何ともいえません。でも、就職できなかったから、とか資格試験の免除のため、といった理由で進学してくるのが多いせいか、ひどいのが多いと思う。自分のゼミ生の場合、指導不足でしょ、と言われると反論できないけど、指導以前の問題もあるし(言い訳)。だって、文章が日本語じゃない。主語と述語が繋がっていない。あ~あ。

#おまえのブログも同じだ、といわれたりして。

しかし、修論審査も、理系と文系の差とか、大学の差があって面白いです。勤務先の理系の先生と以前話していたら、理系の場合、(1)少なくとも学会で1回は報告している、(2)学内の(公聴会というほどではない)発表会で発表する、という段階を経て修論を出すに至るらしい。

逆に、別の文系の場合(院生から聞いた話)、教員が一度ぐらいしか論文に目を通さないと言うぐらい指導がない、というケースもあるらしい。このような場合、修論審査では、院生ではなく、指導教授がしゃべりまくるらしい。

この他、最近の問題はやはり留学生でしょうか。内容もそうかもしれませんが、日本語がね。本人が書いているんだか、指導教授が書いているんだか、っていうぐらい区別が付かないケースもあるようで。

卒業判定

先日、今年度の卒業判定が行われました。在学生の約8割が卒業、言い換えるならば、2割が留年です。でも、先日書きました再試験があるので、さらに1割ぐらいが卒業できることになります。

他の学部の状況はわかりません。さらに他の大学の状況もわかりません。これぐらいなんでしょうか。

さすがに卒業判定となると、規定通り判断しなければならないので、「○○君は人物的に優れているので、卒業させてやるべきだ」なんて言う発言はでません。しかし、試験前に個人的に頼んでくる教員は、たまにいますね。

さらに、学部長名で、「ご配慮下さい」(訳:単位を認定して下さい)という文書を受け取ったことが過去に数回あります。その理由は、いずれも当該学部が改組でなくなるので、留年生をあまりだしたくない(もちろん、明記されていませんよ)からです。そうだったら、いっそのこと試験なんてしなけりゃいいのにと思うの自分だけでしょうか。

仕事が進まない

週末なので、自宅にいました。あ、普段から自宅にいるかもしれない。文系だから(笑)。

いつも家族サービスをしているとはいえないのですが、家族がインフルエンザにやられて、看病というか世話をしていたので(当然といえば当然)、何にも仕事が手に付きませんでした。

講義以外の仕事といえば、もちろん研究なんでしょう。理系の場合、以前も書いたけど、実験等で大学で色々と作業をしているので、「お仕事」というような感じもします。でも文系だと、家で本を読んでいたり、ネットで資料を収集したりという姿は仕事と言うより趣味というか、遊んでいるようにしかみえないようで。

確かにこの時期、講義もないので平日の昼間も家にいるときに、近所の人に「今日はお休み?」なんて聞かれたりしますと、答えに窮します。

ちなみに今、抱えている仕事のメインは、本来ならば今頃出ているはずのテキスト系(純粋なテキストではなく、ちょっと研究色(何色でしょう?)の入った感じ)の本(共著)の執筆。再校の段階なんだけど、1週間ほどほったらかしています(ヤバッ)。4月からの講義でテキストにするので、本当にやばい。


超過勤務手当

ノルマの続きです。

ノルマとは最低限の担当コマ数であって、通常、それを超えた場合には、超過勤務手当(名称は大学によって様々ですが)が支払われる場合が多いです。大学によっては、これに上限を設けて、あまりにも多くのコマ数を持たせないようにしている場合もあります。普通に考えれば、講義の準備なども必要となるので、そんなに多く担当するのは物理的に無理なのですが、なかにはこの超過勤務手当もださず、できるだけ多く担当させようとする酷い大学もあるようですが。

しかし、この超過勤務手当も、まさに大学の戦略(というほど大げさではないか)が反映されていて、面白いです。この金額のメルクマールは、非常勤講師料でしょうか。外部の者と内部の者どちらに多く支払うか、ということで、大学の方針が見えてきます。

自分の勤務先の場合、概ね、非常勤講師料の半分です。このように非常勤講師料よりも超過勤務手当が低い場合、教員は非常勤を選好する可能性が高くなります。例えばノルマ6コマの場合、週に同じ7コマ担当するとしても、すべて自分の勤務先で講義するよりも、1コマは非常勤で担当する方が実入りがいいからです。実際の意思決定にあたっては、移動時間などを考慮に入れるべきであるという意見もあるかもしれませんが。 だからでしょうか、自分の勤務先の場合、非常勤に依存する割合が非常に高いです。

非常勤講師料よりも高い手当を払う場合、逆になります。特に文系の場合、講義以外の時間帯は、必ずしも大学にいなくても仕事ができるので、このような方法をとれば、必然的に教員の大学滞在時間が長くなります。もちろん、講義時間以外に大学にいないこと自体も問題だともいえる訳ですが、このような方法をとれば、教育上良いと考える訳です。

すでに「給料」を払っている人にさらに手厚く遇する必要もない、という主張もうなずけなくもないですが、同額とは言わなくてもせめてやや低い金額に設定した方が良いような気がするのですが(根拠を問われても困るけど)。

そういえば昔、清水建宇氏(ニュースステーションのコメンテーターとしても出演していた朝日新聞論説員で大学ランキングの編集長(今の肩書きは不明))のコラムで、大学教員の人件費について、「大学の財産は人、特に教員だから、人件費をケチる大学は、教育をケチっていることになる」なんて言う趣旨の、教員から見ても非常にうれしい主張をみたことがあります。

さて、あなたの大学はどっち?

ノルマ

もう、大体の大学では来年度の時間割がきまっていることでしょう。

同業の皆さん、ノルマはどれくらいですか?5コマ、?6コマ?私立の場合、私学助成の関係でしょうか、6コマに設定しているところが多いようですね。大学院は、このノルマに含めますか?でも、実際の担当数は、ノルマをオーバーすることが多いようで、自分の場合ももちろんオーバーしています。学部は毎年7コマほど、大学院はノルマ外なのでさらに2コマ。(お馬鹿な自分はさらに非常勤もしていますが。)

非同業者の皆さん、これは1週間に担当する授業時間数のことです。1コマ90分として、6コマの場合、1週間に9時間の講義に拘束されることになります。その他に教授会とかの会議もありますが、変な本などに書かれる大学教授の時給が高い、というのは、通常この数字に基づいて言われる訳です。

大学によっては、その他オフィス・アワーなどと呼ぶ、学生の質問等のために教員が研究室等に待機している時間が課される場合もあります。理系の場合、講義などが無くても、実験のためにずーっと大学にいる必要もある場合もありますが、文系だと、必ずしも大学にいなくても授業の準備や研究ができる場合もあるので、平日家にいると、お休みだと思われる訳です。

しかし、一度でも講義等を担当したことがあればわかると思いますが、9時間話すためには、相当程度の準備時間が必要です(まあ、科目と経験によって多少変わりますが)。たまに小テストを実施したらば、それを採点する時間もいるし。夜中に採点しても、深夜勤務手当が出る訳ではありません。会議が延びても残業手当が出る訳でもありません。

う~ん、何を書きたかったのかだんだんわからなくなってきた。おそらく、授業時間数だけで大学の教員って暇なんだねって言わないで、って結論づけたいのかなあ(オイオイ、自分が書き始めたんだろう)。ちょっと体調不良のため、あまりまとまっていないけど(いつもそうだという意見もあり)、書き込んじゃいます。

これが合格しないと卒業できないので、単位下さい

再試験がありました。採点しています。先日も書きましたが、再試験とは、一度試験を受けたけど、単位を落とした学生が受験できます。自分の勤務先では、4年生が対象となります。だから、卒業がかかっています。

毎年採点すると暗澹たる気持ちになります。なかには、きちんと勉強をしてきて、良い点をとって無事合格となる人もいます(こんなにできるなら、何で定期試験で不合格になったの?って思わせる者もたまにでます)が、経験上、これは非常に少数です。殆どは、やはりできない。なかには、定期試験で「再試験頑張りますから、よろしくお願いします」なんて解答用紙に書く者もいる。でも、そういう者は十中八九、再試験もできていない。

試験(定期試験も再試験も)は途中退室ができるのですが、途中退室して、かつ白紙に近いとか、適当に書いた答案用紙に限って、「この科目が合格しないと卒業できません。単位よろしくお願いします。」なんてことが書いてある。試験時間いっぱい粘ることもしないんだね、と心の中でつぶやく自分。

どこかの大学教員の個人siteに、上記のような文言が書いてあったら、その答案用紙の解答は一切見ずに不合格にする、と宣言している方がありました。それぐらい強い態度ででたいと思いつつ、毎年どうしようか悩みます。そんなこと迷うぐらいじゃあ、教員はやっていけないのでしょうか。

インフルエンザ

インフルエンザが流行っていますね。一応、毎年予防接種をうけていますが、今年はどうやら予防接種をうけていてもかかる人が多いようです。

インフルエンザは、学校保健法によると、学校において予防すべき伝染病第2 種に定められていて、学生は、通常は解熱後2日を経過するまで出席停止となります。不勉強なので、別の法律があるのかもしれませんが、もちろんこの規定は教員には適用されません。

こんな規定があっても、来る人は来るし。入試時期にインフルエンザが流行っていると最悪です。受験生も人生がかかっていて、休まないし、同じ部屋に何時間も一緒にいることになるので、この時にうつされることが多いですね。

別に今はインフルエンザじゃないけど、ちょっと体調不良気味なので、休みたい今日この頃です。といっても、仕事は減る訳ではないのだけれど。




文明の利器は人類を退化させる?

下でレポートのことを書いていたら、学生とのカンニングに関するやりとりで、こんな事を話したことを思い出した。

かれらは、カンニングペーパーを作るのに、縮小コピーをつかう。小さく、小さくコピーしまくるのである。だから、そこに何が書いてあるかはよく分かっていない。

でも、自分の学生時代、縮小コピーなんて代物はなかった。だから、試験にできそうなところをまとめて、それを小さい小さい文字で書く。書いてみると、まだまだ紙が大きい。そこで、さらに小さい紙に書けるようにまとめ直す。そんなことを一晩に何回か繰り返したら、もうカンニングペーパーなんかみなくても、試験問題に解答すべき内容は頭に入っているから、結局カンニングなんかしなくて済んだんだ、ってね。もちろん、山がはずれた場合は目も当てられませんけど。

でも、ちゃんと講義に出ていて、内容をある程度理解していたら、重要な箇所って分かるから、そんなに山がはずれることはなかったけど。

そんなことを経験すれば、最後には、はじめから見るつもりがないカンニングペーパー作りみたいに、何回も書いて覚えるという試験勉強をするようになっていたなあ。