合否判定の謎 | 大学という斜陽産業

合否判定の謎

今日は、入試の合否判定について、個人的な疑問を書きたい。

まずは、真面目な話から。

入試の合否判定は、通常、各学部の教授会の承認を必要とする。もちろん、原案は入試委員会みたいな学部内組織がつくる。その際には、過去の歩留まり率などを勘案して、必要な合格者数を決めるわけである。そう、合格点が先にあるのではなく、合格させたい人数から合格点が決まる訳である。そしてこれはもちろん、一種の賭である。

歩留まり率は毎年変わるので、当たれば良いが、はずれると大変である。予想より低い場合は、定員割れとなる可能性があるので、冷や汗もの。では、逆に高い場合は良いのかというと、文部科学省が文句を言うので、これまた困ったことになる。

ちなみに、文科省は、定員の1.2倍ぐらいまでは許容すると言われている。 九州の某大学は、そんなことはお構いなしに、定員の数倍もの入学者を確保し、補助金等のしがらみを一切断って、我が道をいっている。しかし、通常は補助金等を受けるために、お上の言うことを聞くことになる。でも、そんなこと言ったって、定員割れした場合に助けてくれるわけではないのだから、ハイハイっていうことを聞いていれば良いって訳じゃないのだけれど。

で、次に個人的に???となる話。

まあ、これは大学教員ってやつがいかに経営感覚がないというか、自分たちの給料がどこから出ているのかを認識していないっていう話である。 上で、合否判定は教授会の承認を必要とする、と書いた。ここが曲者なのである。そのときに、いろんなことを言い出す人たちがいる。例えば、

①自分の大学の現状を認識していない(敢えて目を逸らしている?)のか、うちの大学はもっとレベルが高いのだから、合格点をもっと上にしろと言う人

②もっと入学者のレベルを上げないと教育できないと言う人。

いずれも、合格者の人数を少なくすることになる。これは、言い換えるならば、授業料収入が少なくなることを意味する。某保険会社のコマーシャルではないけど、「よ~く考えよう」である。自分たちの給料は、授業料が主要な源泉である。それを少なくしてくれ、と言うのである。じゃあ、その分自分の給料は返上します、とは決して言わない(言ってもそうはならないだろうけど)。民間だったら、売上が減って利益が減ると(厳密には、売上が減ってもさらに費用を減らせば、利益が増える場合もあるけど)、ボーナスなどがカットされることになるのに。

こんなことを書くと、自分の専門がだんだん絞れてきてしまいそうで怖い。

②の方は、さらに問題は深刻である。「満足のいく教育ができない」という主張は、一見聞こえが良いが、よ~く考えると、「私は教育能力が低いです」と言っているのと同じである。じゃあ、教員止めろよ、って言いたいものだ。で、そういう人に限って「私は教員ではない。研究者だ」って言うに決まっている。確かに研究者であるのが大学教員の特徴でもあるのだけれど、大学は我々の研究だけに対して給料を払っているのではない。大部分は教育に対して払っているはずだ。そう、大学にとって役に立たない人間を雇っていることになるわけだ。

もちろん、自分は教育力が高いから平気だ、なんて言いたい訳ではありません。

最後に、同業者の方(もし読んでいたらですけど)。こんな事書いていても、自分は経営側にいる訳ではありませんから